やさしさは、コップから溢れた数滴でいい

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本当の優しさとは一体何でしょうか。

この問いに、
はっきりとした答えを持っている人は、
実はそれほど多くないのかもしれません。

僕自身も長い間、
「優しさとはこういうものだ」という
なんとなくのイメージだけを信じて生きてきました。

誰かの役に立つこと。
相手を最優先にすること。
自分よりも、他人を大切にすること。

それが、正しい優しさだと信じて疑いませんでした。

そしてその考え方を根本的に変えることになったのが
恋愛での経験でした。

昔から僕は付き合った相手に対して「優しい人間でありたい」と強く願っていました。
ただ好かれたいというよりも、恋人にとっての救いになれる存在でありたいと、本気で思っていたのです。

だから恋愛では、できる限りの努力をしました。

デート費用はすべて自分が負担する。
毎回、相手の最寄り駅まで迎えに行く。
相手のやりたいことや意見を最優先にして、自分の考えは後回しにする。

「これが優しさだ」
「これが大切にするということだ」

そう信じて疑いませんでした。

けれど結果は、いつも同じでした。
僕が全力で大切にしていたはずの恋愛は、恋人から振られる形でことごとく終わりを迎えました。

マッチングアプリでの出会いが多かったせいもあるのか、
別れ方は驚くほどあっけないものでした。
LINE一本で終わる関係も、決して珍しくありませんでした。

当時の僕は、このことに本気で悩んでいました。
「これだけ尽くしているのに、なぜ振られるのか」
理由がまったく分からなかったのです。

それでも、
「いつかは本当に大切にしたい人と出会い、将来を考えたい」
その気持ちだけは消えませんでした。

だから僕は、自分に何か改善できることがないのか、必死に考え始めました。

優しい人であることのコスト

考え続ける中で、少しだけ距離を取って自分を見つめてみました。
すると、ある事実に気づきました。

人と比べて特別に優秀ではない僕にとって、
「恋人に尽くす人間であること」は、
想像以上に大きなコストを伴っていたのです。

恋人に尽くすことに全力を注ぐあまり、
僕は本来、魅力になり得たはずのものを失っていました。

それは、
精神的な余裕であり、
人としての面白さでした。

精神的な余裕は、相手に安心感を与えます。
人としての面白さは、時間が経っても飽きさせない魅力になります。

けれど当時の僕には、そのどちらもありませんでした。

尽くすことで精一杯で、
常に余裕がなく、
相手の反応ひとつで一喜一憂する。

今思えば、
僕がしていた「優しさ」は、
相手のためというより、
「優しい自分でありたい」という自己満足だったのかもしれません。

それを、恋人に押し付けていただけだった。
そう思うようになりました。

やさしさは、コップから溢れた数滴

本当のやさしさは、
無理をして生み出すものではありません。

自分を削り、
余裕を失い、
必死になって差し出すものでもありません。

やさしさとは、
自分の中に満たされたものが、自然に溢れた結果なのだと思います。

コップの水が少ない状態で、
誰かに水を分け与えようとしても、
いずれ自分が干上がってしまう。

自分が満たされていないまま差し出す優しさは、
長くは続かないし、
相手を本当の意味で支えることもできません。

誰かとの関係を大切にしたいと思うなら、
まずは自分が立っていられること。
余力を持っていること。

やさしさは、
コップから溢れた数滴でいい。

そう気づいてから、
僕は「優しさ」の意味を、ようやく考え直せるようになりました。

ADHDと優しさの関連性について

ADHD気質の人は、

人の感情に気づきやすく、
場の空気を敏感に感じ取り、
過去の失敗体験から
「迷惑をかけてはいけない」という意識を
強く抱きやすい傾向にあります。

その結果として、
やさしさが
自分を削る形になりやすいのかもしれません。

自分を削らなくても続く関係。
無理をしなくても離れていかない相手。

そうした関係を選ぶことが
最終的に自分を守るという選択につながります。

もし今、
消耗していると感じる関係があるなら、
一度立ち止まって考えてみてください。

そのやさしさは、
余っているものですか。
それとも、
削り出したものですか。

本当のやさしさは、
自分を犠牲にしない場所に、
必ず残っています。


※本記事は、筆者自身の体験をもとにした内容です。
医学的な判断や診断については、専門家にご相談ください。
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